TOP   

海のシルク
ロードへ
ようこそ

店主の経歴
と活動

店主レポート
鑑定の技術
日本の中の
龍泉窯の
歴史

参考資料
{染付の本 
新安沖
引き揚げ品}
気になる情報
(鈞窯の学説
変更)

  「海のシルクロード」へようこそ
私共海のシルクロードは、往古の中国官窯瓷器や民窯陶瓷器、また貿易品等の
中国、朝鮮半島、東南アジア諸国で作陶された古陶磁や古美術品の展示・販売をしてます。
たとえば、オークションに出品出来るものや茶道具として使用が可能な品もございます。

銀座の店へのお立ち寄りをお待ち申し上げます。

                             
海のシルクロード 店主         

    青花魚藻紋折沿大盤
 
青花魚藻紋折沿大盤(元)

   口径   47.0cm
                         TOPへ
 店主の経歴と活動

プロフィール 
中央大学卒。 メーカー勤務ののち独立開業。
主に中国古陶磁を紹介。 海外発掘経験多数あり。
1996年 海のシルクロード開店。 (千葉県習志野市)
2000年 海のシルクロードを銀座へ移転 銀座店開店。   東洋陶磁学会会員

経歴と活動≫ 
1999年〜2000年   アンティークルーム青山主催(有志により出店)

2001年  創樹社美術出版「小さな蕾」に
       最新ジャンク船引き揚げレポートを掲載。
        タイトル 【南海に眠る古陶磁ロマン】
2001年  上場企業での講演。 

       講演風景
    講演テーマ
     【古陶磁の鑑定】
   
   近畿日本ツーリストにて講演
  近畿日本ツーリストにて講演
2001年〜          日本骨董学院への出講
                ◎中国の古陶磁器とアジアの古陶磁器の鑑定
                ◎中国古陶磁器の鑑定入門
                ◎海のシルクロード(発見された海底の沈船と遺跡発掘のロマン)
                ◎海のシルクロード(貿易古陶磁の鑑定)

2003年09月        店内にて勉強会を開催。
2005年07月        集団での勉強会を個別授業に変更。
2006年 3/27〜4/3   第1回 青磁展示即売会を開催
                     (海のシルクロード店内にて) 
2006年 7/22〜8/22   第2回 青磁展示即売会を開催。
                     (海のシルクロード店内にて)
2007年04月        勉強会(個別授業)開催中。
2008年05月        勉強会(個別授業)開催中
2009年07月        勉強会(個別授業)開催中
2010年09月        勉強会中止                          TOPへ

 店主レポート
”南海に眠る古陶磁ロマン”
  店主レポート(小さな蕾の本)

    「珊瑚礁で発見された十五世紀の木造交易船」
              最新ジャンク船引き揚げレポート

                                                 


明時代の沈没船発見!海底に散乱した夥しい古陶磁や 積荷、
白い竜骨の残った船体」という新聞の見出しには現代人が描く冒険とロマンが
波間に見え隠れしているかの様である。

二十六年前に韓国新安沖の海底で発見された元時代の交易船は
1323年頃の沈没船と発表された。

沈没船は朝鮮半島を経由し、日本寄港の後、
東南アジア方面に向かう予定だったとのことである。 

出帆は中国の慶元港(ニンポー)らしい。その積荷の中からは、
28トン以上の中国銭や、積荷の60%を占める龍泉窯青磁、
東福寺公持」 と荷主名が墨書された木札や、日本刀の鐔、下駄などが発見された。

乗船者の居住空間は船艙に満載された積荷の隙間、約半畳であったという考察もある。

そんな中、船は無寄港で一ヶ月に及ぶ航海をしていたらしい。

交易商人の船艙内での忍苦は 計り知れないものがあっただろう。

ところで東南アジア諸島間に交叉した「海上の路」で
発見された19世紀以前の沈没船の数は今までに二十隻以上に及ぶ。

船籍も中国から西アジア、ヨーロッパと広範囲に渡っているが、
そのなかでも東南アジアの諸島間で最も多い沈没船はジャンクと呼ばれる、

明時代からアジアで活躍した船底の浅い中国籍の木造帆船であろう。

およそ七千もの島々から成るフィリピン沿岸の海底で発見された
ジャンクの海底遺跡の一つに南スルー海に面したパンダナン島遺跡がある。

この遺跡は水深42メートルの珊瑚礁にあり、多数の大壷やガラスビーズ、 
二門の大砲と共に発見された15世紀前半のジャンクである。

また今年の五月には解禁令の施かれていた、明時代15世紀後半に沈没した
ジャンクの発見が有った。

この海底遺跡は五月十四日頃、マニラの北西部サンバレス郡沿岸の水深約30メートルの
傾斜した海底で漁民により発見され、マニラ首都圏の新聞の一面に
ニュースが掲載されたのは五月二十六日の朝刊である。

   
 新聞の写真  

パンダナン島やサンバレス郡のジャンクは、
共にフィリピン群島南西部のスルー海をパラワン島に沿って北上した船と思われる。

交易船は中国南部から大陸に沿って南下し、マラッカ海峡を通過、
ベンガル湾まで達してから帰途に就き、タイからインドネシア諸島の中継交易地を巡って
五月から十一月に吹く南西の季節風に乗り、パラワン島南西部に着いたと思われる。

ジャンク船が中国南部の河口港から出帆するには、十二月から四月までの
北東の季節風に帆を張れば東南アジア諸島への航海には無理がない。

無風状態のマラッカ海峡で頻発した海賊との交戦を除けば比較的安全なルートであった。

八年前に発見されたパンダナンジャンクの積荷には中国銭は少なく、
永楽通宝が目立つ程度だったが、80センチ前後の大壷や安南の小物、
タイのサワンカローク窯の四耳壷
、直径35センチを超す景徳鎮窯青花麒麟文盤等を混載していた。

しかしフランス人ダイバー達を最も興奮させた引き揚げ品は、青紫のコバルトで
見込みに鳳凰と麒麟を描いた直径30センチの元時代末の景徳鎮窯腰折形碗である。

五月に発見されたサンバレスジャンクにもサワンカローク窯の四耳壷や、
刻花で飾られた龍泉窯青磁盤、景徳鎮窯中型盤(直径19センチ)等が
大量に発見されたがなかでも注目されるものに
直径60センチを超える龍泉窯青磁盤がある。

 景徳鎮小皿

興味深いことに韓国新安沖の元時代の交易船や、
フィリピンの明時代交易船の積み荷には新古の中国銭や古陶磁があったが、
サンバレスジャンクでは15世紀初頭の景鎮窯小壷や小物、
14世紀前半の珍稀な鉄斑文青白磁の小物が目立っていた。

その他にも日本の鎌倉時代13世紀半ば、
鎌倉に安置された宋様式の大仏鋳造に用いられた銭貨と同様の新古の輸入銅銭は、
前述のように新安沖からも大量に発見されている。

ところで南海交易の対象となった特産品のひとつに天然真珠が有る。

パンダナンジャンクがめざした漂海民の住むスルー海は、天然真珠の古来からの産地である。

天然真珠は重要な交易品であり、中国では専売品のひとつだった。

その他東南アジア諸島の特産品には海底では発見されにくいスパイスや香木、
そして鼈甲、珊瑚、象牙などが有るがそれらは海商にとって最も重要な交易品であり、
事実17世紀には香料諸島でスパイス戦争と呼ばれる戦いが
オランダやイギリス等の国々によって繰広げられた。

中国特産の絹布や陶磁器を、 南海諸島の特産品と交換したジャンクの、
厳しくも華やかな航海の日々に思いを馳せると、
南海で沈没した交易船の新たな発見が近々あるのではないかと思えてくる。

なぜなら、紺碧の大海原に浮かぶ白い珊瑚礁や
、満天の夜空に浮かぶ星座を頼りに航海した、
35メートル足らずの木造船にはきっと我々の思いも掛けぬ困難の数々が
待ち受けていただろうと思えるからである。


 沈船引揚げ品  

                            (海のシルクロード店主)
                 
             香料諸島‥‥インドネシアやジャワ
                                          TOPへ        

 鑑定の技術
  ━建窯についての大事な話し━    

中国福建省のかの有名な建窯、
あの禾目天目や曜変天目茶碗(国宝)を焼いた古代窯のことです。

建窯が天目茶碗を」専門に焼いたといえども、じつは、
杯等の酒器も焼成していた事はあまり知られていません。

先日、建窯の遺跡をよく識っている友人に会い現地の窯址の話しをした折のこと。

私の質問は、茶碗や杯の見込みに厚く溜まった斜めの釉だまりの事に及んだ。
(建窯の茶碗や杯には斜めの釉だまりが多い)

友人いわく、発掘調査された宋代の登り窯(階級窯)の一本の長さは約80〜120mで、
周辺の地域に約300本ほどあるとのこと。(階級窯の傾斜角度は約15度)
また窯は一度の焼成で10万個の品を焼いたようだ。

焼成室の床面が階段状の水平面と思っていた登り窯は、やや傾斜面を残した平面で、
茶碗や杯(杯はサヤの中に約10個ほど詰められた)
を入れたサヤはこれまた垂直を得ない4〜5つ重ねの状態であったと説明された。
(燃焼室からの火力風のためわざわざ傾斜に置いたとの説もある)

要するに現代作家の窯を想像すべきでなく、商品の量の多さと窯の長さを考慮すると
中国の古代窯の往時の活動の実態は大きく日本の古窯と異なるようです
(しかし、以上の話は宮中への貢品や、高級品の作調とは異なるかもしれません)

          
        柿釉笠形杯
         建窯
         北宋
             口径  9.5cm
             高さ   4.0cm

  
                                          TOPへ
 日本の中の龍泉窯の歴史

中国浙江、福建、江西省にまたがる名窯、
龍泉窯は、中国最大の青磁窯群です。

その昔、
12世紀末から13世紀初頭に龍泉窯は砧青磁(きぬたせいじ)と
我が国で呼称された白胎厚釉玉質青磁を作ったことで有名です。
(その青磁は
釉薬の改良や釉の重ね掛けの工夫による画期的な青磁でした。)
 
我が国の国宝の中に
この龍泉窯作品が、数点ある事をご存知でしょうか‥‥。

     
<最新の情報>

価格の暴騰の著しい中国のオークションの主流作品は
今年から来年にかけて、
それまでの絵画等に青磁がプラスされてゆくとの情報があります。

しかし
青磁もまた多量のコピーが市場に混在していますので注意してください。


下記の写真は、第2回青磁展示即売会の古陶磁品の一部です。

展示品の一部 展示品
                                           TOPへ
 参考資料

☆染付の参考書
    【陶磁器染付文様】
             三杉隆敏  榊原昭二  [編著]  柏書房出版
    陶磁器染付文様辞典      

 (げん)染付(そめつけ)」海を渡る世界に拡がる焼物(やきもの)文化
             三杉隆敏‥著         農文協出版
        元の染付海を渡る本       

☆新安沖引揚げ品と同種の品々発見の遠い記憶について。

新安沖で、もし元時代の中国船が沈没しなかったら、
船に積載されていた品々を私は発掘していたかも知れない。

          場所は───。
          東南アジアの群島。

約10年前に、国立博物館の許可を得て発掘に着手したのは同年9月。

連日40度近い猛暑の中5人の若者たちは、私の指示のもと、
ココナツの林の中にトレンチをやっと10m入れた。

表土から30〜40cmを掘り下げた地点に13〜14世紀の遺跡はあった。

ところで、新安沖の沈没船については学者の間で、
その船の行き先について話題になっていた。

しかし、私はその行き先について、確実な体験をしていたようだ。

発掘された古墳は13〜14世紀の集合墓地。

遠浅な浜の先端の2キロ先では、岬が水平線を左右から抱えていた。

昼の発掘が終わり深紅の夕焼けが去り、
一面の闇が高床の家々を包み込むと、
開け広げな男女と囲むビールの宴が始まる。

やがて
神秘の闇も深まり目の前のマングローブの茂みを潮風が撫ぜる頃、
ふと目を転ずると数千のホタルの灯す明かりが幻想の空間を生み、
大都会の夜景にも、またクリスマスツリーにも思えた事を思い出す。
        
                            海のシルクロード 店主

韓国新安沖沈没船引き揚げ品
韓国新安沖沈没船引き揚げ品   
                                            TOPへ
 鈞窯の学説変更

    ──鈞窯の新たな編年──

「中国の鈞窯研究についての発表」について。

いままでに金時代の作とされていた、鈞窯の紫紅釉や澱青釉、紫釉の器の中で
一から十の番号のある花盆や水盤、尊が、2004年に河南省の遺跡から出土した
破片を研究したところ、明時代14〜15世紀の作と変更されている。

  鈞窯の器の写真  

一から十の番号の件は長く論争されたが、
2006年11月に「中国深セン『官鈞』磁器学術検討会」
が開かれ活発な議論の末に、上記のように明時代初期の作と結論付けられた。

ちなみに鈞窯は宋時代より万暦の頃まで活動し、その初頭の宋時代の作には
「官窯タイプ」もあるとのことです。

                        2007年5月19日
                                東洋陶磁学会総会に於いて。

                                            TOPへ